
苅部隆太郎
夢だったJリーガーを辞め
23歳で日本から逃げ出した
FOOTBALL · ASIA · BUSINESS · LIFEMY STORY
23歳でJリーガーを
辞めた
子どもの頃から欲しかった肩書きだった。川崎フロンターレの育成組織でサッカーを続け、明治大学を経て、FC岐阜でプロになった。
その夢を叶えてから、約1年半だった。
次の仕事は決まっていなかった。どの国に住むかも、何で生きるかも決まっていなかった。それでも、日本を出たかった。
誰も自分を知らない場所に
行きたかった
人から見て正しい人生と自分が生きたい人生がいつも同じとは限らない
恵まれていた
それでもレールに乗る人生は嫌だった
1992年、東京生まれ。3歳から18歳まで青山学院で育った。父は医師で、そのまま大学へ進む道も、家業を継ぐ道もあった。振り返れば、教育も家庭も、サッカーに打ち込める環境も十分に与えてもらっていた。
それでも、なぜか昔から少し難しい方へ行きたくなった。放課後、友達が渋谷へ遊びに行く中、自分は川崎へ向かった。中学から川崎フロンターレの育成組織でプレーし、高校3年ではU-18の10番を背負った。トップチームには上がれなかった。青学に残る道もあった。でも、もっと競争できる場所へ行きたくて、明治大学を選んだ。






夢を叶えても
人生は完成しなかった
明治大学では、初めての寮生活。大部屋で、自分の空間は二段ベッドひとつ。上下関係も厳しく、試合に出るまでにも時間がかかった。自分の人生で戻りたい時期を選べと言われても、大学時代は選ばないと思う。
それでも4年では副将を務め、2015年、FC岐阜へ。子どもの頃から追い続けたJリーガーという夢は、本当に叶った。けれど1年目に膝を大きく怪我した。復帰しても、身体と気持ちは少しずつ離れていった。夢を叶えれば人生が完成するわけではなかった。むしろ、叶えたからこそ『このままでいいのか』という問いが残った。



23歳
夢だった肩書きを自分で手放した
2016年、クラブを離れた。次の仕事も、住む国も、何で生きるかも決まっていなかった。何年もかけて手に入れた『Jリーガー』を手放してまで欲しかったのは、自分を誰も知らない場所だった。
日本を出てからは、一つの場所に向かったわけではなかった。世界中のいろいろな国を訪れ、街を歩き、そこに暮らす人と出会い、それまで知らなかった世界を見た。国が変われば、言葉も文化も、働き方も、生き方も違う。日本にいた時は当たり前だと思っていた価値観が、世界では当たり前ではないことを知った。長いサッカー人生のあとに初めて立ち止まり、外から日本と自分を見る時間ができた。世界は思っていたよりずっと広く、生き方は一つではなかった。





誰も自分を知らない場所で
もう一度プロになった
海外では、話が来ても契約にならない。タイへ飛んでも話が消え、インドネシアでも待たされた。日本での経歴だけでは何も保証されなかった。それでも自分で動き続け、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイでプロとしてプレーした。
そこで知ったのは、日本での評価が人生の最終判定ではないということだった。同じ人間でも、場所が変われば求められるものが変わる。競争に勝つことだけではなく、競争する場所そのものを選んでもいい。世界が広がると、自分の可能性の見え方も変わった。
人生の最終判定ではなかった。





「元Jリーガー」だけでは
仕事にならなかった
サッカーの外へ出れば、過去の肩書きと、今何ができるかは別だった。最初に挑戦したオンラインコミュニティ『Room9S』は続かなかった。人が動いてくれることを前提にした事業を、自分は十分に運営できなかった。
肩書きは入口にはなっても、誰かの問題を解決してはくれない。待つより、自分で手を動かして変えられる仕事をしたい。その感覚から、タイで店舗をつくった。物件を探し、内装を考え、設備をそろえ、広告を出す。妻と二人で、分からないことを一つずつ仕事に変えていった。自分たちがつくったものに、初めて誰かがお金を払ってくれた。その感覚は、チームから給料を受け取るのとはまったく違った。



日本を離れて
日本を選び直した
高校時代、英語は一番下のクラスだった。それでも海外で暮らし、英語で日本を発信するようになった。世界には、日本について知りたい人が想像以上にいた。日本を外から見ることで、当たり前すぎて見えていなかった価値に気づいた。
日本だけに人生を預けない。それは、日本を捨てるという意味ではない。海外を知ったうえで日本を選ぶ。日本にいながら世界とつながる。国も、会社も、肩書きも、収入源も、一つしかない状態を減らしていく。選択肢があることと、逃げることは違う。自分で選べる余白を持つこと。それが、海外を渡り歩いて見つけた生き方だった。
預けることは違う。





好きな人と 好きな場所で
好きなことをする
今は妻と、生活も仕事もほとんど一緒にしている。どんな店にするか。どんなサービスを届けるか。これからどこで、どう生きたいか。事業を先に決めて人生を合わせるのではなく、生きたい人生から必要な仕事を考えるようになった。
Jリーガーを辞めた時、今の生活は何ひとつ見えていなかった。夢を捨てたのではなく、夢を一つに固定しない人生を選んだのだと思う。今いる場所だけが、世界のすべてではない。これからも日本とタイを行き来しながら、新しい場所へ行き、新しい仕事をつくり、自分の人生を自分で選び続けたい。




PROFILE
RYUTARO
KARUBE
- NAME
- 苅部 隆太郎 / Ryu
- BORN
- 1992 · Tokyo, Japan
- BASE
- Japan / Thailand
- BACKGROUND
- Football / Business / Media / Wellness
SOCIAL / MEDIA
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THE BOOK
もっと詳しく知りたい人へ。
日本だけに、
人生を預けない。
サッカー、海外、ビジネス、挫折、挑戦、そしてこれから。ここでは書ききれなかった出来事と、その時に何を考え、どう選んできたのかを一冊にまとめています。